湯立て神楽

 日本の農村、山村には現在でも古代・中世からの信仰を反映した祭りが残されています。「湯立て神楽」の行われる「霜月祭」は、こうした祭りの中でも古い祭式を今に保つもののひとつとされています。霜月祭は、1,000年以上前にその始まりがあり、AC1212年に湯立て神楽を正式に行い神面の舞も併せて行ったと伝えられています。当時の宮中の「湯立て」の神事・神楽が山間の村にまで伝えられ、山村の「山の神」の祭りが「霜月祭」という形にまとめられ、伝えられ続けてきたものと考えられています。また、「湯立て」の神事・神楽はその昔、インドや中国から日本に伝わってきたと考えられています。記録によると1502年以降、祭りは宮の中で行われるようになったとされます。この霜月祭りは神仏混淆の祭りであり、新しい年の到来を祝う祭りでもあります。現在、人口約1,000人のこの村は、最近に至るまで交通の便も悪く、昔ながらの祭りが伝えられ続けてきたと言われています。私は霜月祭の行われる上村の4つの地区のうち、村の中心である上町と中郷、程野、および近隣の和田を取材しました。上町、中郷、程野のうち、水田耕作可能な平地(現在は建物が建っている所が多い)もあり人口も多い上町にのみ末社の神面として「稲荷(稲作農業の守り神)」と「山の神」がありました。四面様天伯様を祀ることから始まり、社は大木のもとにあり野天にあったという古文書の記述と、小さな丘の上にある現在の上町の神社の霜月祭の間にも、千年という時の流れが存在することを感じざるを得ません。
 このビデオの映像は主に程野と上町のものであり、神面の舞のうち「神太夫夫妻の舞」、「四面の舞」は程野の、「八社の舞」と「天伯の舞」は上町の映像です。


「たすきの舞」
宮中の舞楽の舞が伝わったものとされます。

「羽揃え(はぞろえ)の舞」
宮中の舞楽えの舞が伝わったものとされます。
男性が女性の着物姿で舞います。

「湯立て」
一連の「湯立て」の神事をまとめました。「湯立て」は7回行われます。
「湯木(ゆぼく)」と呼ばれる上に白い紙のついた木(幣:ぬさ)に神が降りてくるとされ、幣の端を湯につけ、神に湯に入ってもらいます。湯に入った神は雲となって空に昇っていきます。

「みそぎ」
神面を着けて舞う人は、舞の前に村の川で水を浴びて汚れを落とします。

「神太夫(かんだゆう)夫妻の舞」
この神社を起こしたとされる夫婦の説話を元に、アドリブも加え、狂言風に演じられます。妻の持つ榊の枝で叩かれると病気にならないとされます。夫は「日」を、妻は「月」を表すとされます。

「八社(はっしゃ)の舞」
8つの神社を表す神面の舞ですが、面の裏に遠山家一門の霊を祀ってあるとされます。江戸時代にこの地方を治め、一揆により滅ぼされた遠山一族(1人の姫を含む)の霊の鎮魂の舞とされます。

「四面(よおもて)の舞」
「水」、「土」、「火」、「木」を表す4つの神面の舞です。次の天伯(「金」を表す)と併せて、宇宙の5大エレメントを象徴しています。「水の王」と「土の王」が素手で湯をはね飛ばし、清めを行う「湯切り」の神事はインドが起源と考えられています。

「天伯(てんぱく)の舞」
神面の舞をしめくくる「天伯」は「金王猿田彦」の神であり、「日本書紀」などに登場し、道案内の神とされます。錦織の狩衣に弓矢を持ち、東西南北天地に向かって矢を放ち悪鬼外道を追い払うとされます。

主要参考文献:
・「信州上村霜月祭」岡井一郎著 上村発行
・ 「山の神」ネリー・ナウマン著 野村伸一・檜枝陽一郎訳 言叢社発行

解説:門司邦雄/eyedia.com
(c) 1997-2003 Virtual Creates / MICROMEDIA


全ての解説の文章の著作権は各作者にあります。
無断転載、複製、使用を堅く禁止します。

 

Page Top